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持たなくていい

農家を兼業している水戸市のGさんから枝豆とショウガを頂きました。

Gさんの自宅で仕事の話を終えて帰ろうとすると、『ウチの畑に寄って行きな』と声がかかる。

Gさんが運転する軽トラックの後ろを私も車でついていく。3分も走ると、車1台幅しかない農道へ入る。

周りは見渡す限り一面の畑、畑、畑。その一角にあるGさんの畑に到着。早速、枝豆を土から株ごと引き抜き収穫する。

スーパーで売られている冷凍物とは違う。葉が付き、さやの色や形、実の大きさも様々。独特の匂いもする。

数えきれない数のさやが付いている。家に戻り、一つ一つ枝から引き離す。30分以上かかった?

よく水で汚れを洗い落とし、さやの両端部分をハサミで切る。これも30分以上かかる。

塩をふり揉む。鍋に湯を沸かし、茹で用の塩を入れて5分弱茹でる。ザルにあげ湯を切り粗熱をとる。

普段はまったく料理をしないのですが、美味しく食べるための手間を一つ一つかけることが大事なのは分かる。

冷蔵庫から冷えた缶ビールを出して飲む。茹であがったばかりの枝豆を口に入れる。鮮度がいいからエネルギーを感じる。

それにしても、茹であがった枝豆とビールの組み合わせは絶妙。栽培をしたわけではないが、口に入れるまで手間暇をかけた。その分美味しさが増します。

Gさん、ありがとうございました(笑)
From:小松﨑孝信

最近、新聞などの特集で目にすることが多くなってきた言葉に「格差社会」がある。

嫌な響きがする言葉ですね。ただ歴史的に見て、150年前の江戸時代は士農工商という身分制度があった。だから、それほど特別なことではないのかもしれません。

確かに、日本の景気が良かった昭和の終わりから今に至る30数年間だけを切り取ると、まじめに働いても生活が楽にならない割合が増えてきている。

「格差社会」では、お金、地位、部下の数などをどれだけ持っているかでその人自身が評価されやすいという。

持っていない人は不幸とみなされる。本当にそうなのか?持っている人が本当に幸福なのか?怪しいですね。

そもそも、「幸福」という言葉自体が抽象的すぎる。人それぞれ求める価値観が違うはずだから。

幸せになりたいと考えた時点で、ちょっと冷静になったほうがいい。それ自体がビジネスで、煽られているだけかもしれない。

やりたければとっくにやっている。誰に言われなくても時間を作ってやっている。

本当はやりたくないのに、みんながやっているからやる横並びの姿勢が疲弊する原因。

一日のスケジュールに追いまくられ、目一杯で忙しいとする。それをこなすことで仕事をしたと感じやすい。

私はスケジュールに余裕がある方がいいですね。どっちかというと、手帳に空白が目立つ(笑)

当たり前ですが、予定通りに生きているわけではない。突然アポイントが入ることはある。仕事でもプライベートでも。

あっ、大丈夫。行けますよ!』とフットワークが軽い状態でいたい。

家族がいるので、一人で生きているわけではない。誰だって生きている以上、お金がかかる。だから稼がないといけない。

でも、本当に欲しいのは有限である「時間」です。

ジムに週2回行ってトレーニングする時間は、必ず確保しています。ムキムキになることが目的ではない(笑)心身ともにスッキリするから。もはや習慣です。

家族と過ごす。朝ジャックの散歩をする。本を読む。ゴルフをする時間は大事。夜ゆっくりお酒を飲むことも(笑)

中古で購入した車を6年経っても乗っている(乗り換える理由が特にない…)。息子が着なくなった服、お下がりを着ている(靴もそう…)。

あまり所有欲も支配欲もない。そう考えてしまうところが自分の限界なんでしょうか?

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