
春休みに入った高校生の長女、妻から習い料理を作る。成長を感じます…
From:小松﨑孝信
長女は小学校の頃、週末はNHK児童合唱団(水戸市大町)で活動していた。何かあったら困るので、いつも車で送迎。けっこう大変でした(笑)
それでも、ホールで発表会・コンクールがあれば、できるだけ聴きに行きました。稀なところでは、芸術館で大人も交えて「第九」を歌ったり、クリスマス時期は水戸駅構内で毎年歌ってましたね。小学生から高校生までの男女が混合する一体感や重厚感は、ライブで聴くと心に響きます。
そんな彼女も、高校に入ってからは家事を手伝ってくれたり、週末は犬の散歩やシャワー・ブラッシングもしてくれる。頼りになります。
子供が自立して生きていけるように、いろんな話をしたい。大事な時にキチンと話すのでなく、普段の何気ない日々から話をしたい。その中の一つ二つ残ればいいかなと思っていました。
でも最近、父親なんて存在は、精神的に必要なくなってきているのを感じる。それが一番健全なことなんだと思う。だから、嬉しいけど、どこか寂しい。寂しいから、嬉しいのかもしれない。
次の人生でもこの子たちの父親になりたい、とは不思議と思わない。そんなことを思ってもしょうがないということもあるんだけど、充分に一緒の時間を過ごした気がするから。と同時に自分じゃない方が良かったのかもしれない?気もするから。
とても難しいことだけど、その子の欠点を欠点のまま理解してあげたかった。親の都合や好みに合わせて欠点を克服する義務は子供にないはずだから。
最初は子の気持ちを理解しようと『うん、うん、なるほど・・・』と聞いているんだけど、最後には『ちゃんとしろ!』なんて上から言うより、よっぽど自然な気がする...
あの時は分からなかったけど、今だったらなんとなく分かることの一つ。気づいた時には年頃で、自分の世界観ができつつあるから、もう取り返しがつかないんですけどね…
致命傷ではないカスリ傷を負う。負けることにも慣れておく。失敗して、間違えて体で覚える。時間はかかっても、実体験することで他人事じゃなくなり、今後に活かせる。
気を付けていたのは、褒めるのは結果を出したとき。そうしないと本質がズレてくる。子供を傷つけないために、試合なのに点数をつけない。競争なのに順位をつけないというのはチョット賛同できない。それで面白いの?
結果が現実を作っていることなんて誰もが気づいている。頑張っているかどうかではないですよね? 間違った方向に頑張っても結果はついてこない。自分のいる現在地と目的地までの地図がいる。
「何のために何をするか?」今の高校生は、言われなくてもわかっているようです。
一つのことに固執しすぎるのでなく、選択肢をどれだけ増やせるか。これも伝えたいかな。できていない自分自身に言い聞かせます(笑)
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